生き様は死に様。死に様は生き様。
 
 齢十八となった千寿郎は背丈も伸び、あの頃の兄、杏寿郎と変わらないほどとなった。
 月命日のこの日。寒さも和らぎ春の知らせが漂っていた。淡桃色の丸い花びらが薄曇りの空に華を添えている。

「今年の梅の花はずいぶん早く……

 ぽつりぽつりと顔を出しているそれを見て、千寿郎は一人耳を染める。毎年のように述べていた言葉をどのような顔をして聴いていたのか、想像するだけで悶えてしまう。
 おそらく杏寿郎は声高らかに笑っただろう。
 ようやく気づいたか!―― そんな声が今にも降ってくるようだった。

……兄上、これは杏の花ですね」


1.杏の花


 墓参りを終えた千寿郎は自室に籠もるや否や、頭を抱える。こうしたことは今に始まったことではない。ここ数ヶ月、ずっとこの調子だ。風呂敷から取り出した冊子を眺め、また一つため息を吐く。
 冊子の中には美しく着飾った女性の姿がある。美しいことには美しいが、美しい以外の言葉が浮かぶことはない。この者と生涯を共に……。そう考えると、“ いやいや、ちょっとまってくれ!”と、頭の隅で首根っこを掴む者がいる。

 ―― 困ったな……

 千寿郎の悩みの種、それは『縁談』であった。数年前から度々話が上がるようになったのは、父、槇寿郎の変化もある。憑き物が取れたように人当たりがよくなったこともあるが、“とりあえず”と断ることなく持ち帰ってしまうことも大いにある。「見てみるだけでいい」と手渡すのは親心だろうか。今まではあれこれと理由を付けて断っていたものの、近頃はその言い訳も苦しくなってくる。「僕にはまだ早いです」という鉄板の文言は期限切れが迫っていた。十五、十六の若者であればそれでもよいが、さすがに十九間近の十八となればそうもいかない。のんびりしている間にすぐに二十がやってくる。

 そして千寿郎自身もそれについて考えていたところだった。いつまでも父子二人、というわけにはいかないだろう。剣士の継承は途絶えはしたが、鬼が殲滅された今はさほど大きな問題には至っていない。しかし、家は違う。このままでは《煉獄》そのものが無いものになってしまう。先祖の功績も何もかも綺麗な更地になってしまうのは、千寿郎としても避けたいことだった。

 しかし、どうにも煮えきれない。

 自分に一等のこだわりがあるとは思えないが、なぜかいつも二の足を踏んだ。槇寿郎が持ち寄る縁談は、学歴・容姿、遜色なく整っている。わざわざ自分でなくとも、と思うほどだ。ほがらかで優しげで、まさに非の打ち所のないような女性ばかり。こんなことを言うのは贅沢な話だと石を投げられるかもしれない。それでも千寿郎は、

「う〜ん、どうやって断ろう……

 そればかり考えてしまう。
 この写真を撮るためにどれだけの手間を要したのか。それを思うとますます胃が痛むようだった。

「御免下さい」

 千寿郎は慌てて写真を風呂敷で隠す。もしやこの女性が押しかけてきたのではないか。どきりとした心臓に手を当て、千寿郎は玄関を見やる。なぜなら、長引く返事にしびれを切らし、相手側が強行突破をしかけることもままあった。そのためかなり警戒した。まだ断り文句が決まっていないのに、会ってしまったら面倒事になりかねない。傷つけまいとする気遣いが、二人で茶を飲むことになったことは記憶に新しい。しかし、幸か不幸か槇寿郎は留守にしている。重い腰を上げ、千寿郎はしぶしぶ立ち上がる。

「御免下さい。わたくし、と申します」

 
 知らない名前に、千寿郎は慌てて門へ向かった。

「すみません、おまたせしました」
「ご無沙汰しております、わたくしと申します。その説はどうもお世話になりました。お元気でいらっしゃるようで何よりです」

 千寿郎はしばし考えた。少女は初めて見る顔だった。よって、その説もない。あるとするのならやはり兄、杏寿郎。時々こうして兄を訪ねてくる者は居る。だが、ここしばらくはほとんどなく、久方ぶりの対応に千寿郎は戸惑うことになった。

「私は千寿郎と申します。杏寿郎の弟です……
「えっ!そうでしたか、失礼申し上げました。どうりでお変わりのなさすぎることと思いました。杏寿郎様はご在宅でしょうか?」
「あの……まあ、立ち話もなんですので、お上がりください」
「ありがとうございます。失礼します」

 丁寧に頭を下げた少女は、顔を上げると人懐こそうな笑みを浮かべた。


 千寿郎は湯を沸かし考えた。そろりと客間を覗き見る。今まで訪ねてきたのは二十をとうに越えた成人ばかりだった。見たところ、彼女は十六、十七。今時にしてはおとなしい格好をしている。言うならば、地味だった。背負った荷物を考えても遠方から来たのは間違いないだろう。彼女の身なりからも察するに、杏寿郎を頼って来たと考えるのが自然だ。どこから話せばよいのか。千寿郎は懸命に知恵を絞る。
 しかし、できることはいつも決まっている。いかなる場合も一つ一つ相手が納得するまで話すほかないのだ。

「おまたせしました。お茶です」
「お気遣いありがとうございます。いただきます」

 初めて訪れた者は大抵、緊張の色をみせる。だが、少女は妙に落ち着いていた。あまりにも落ち着いていて不思議に思うほどだった。

「あの、兄のことですが……――

 これほど心苦しいことはなかった。できるだけ柔らかく語りかけることを心がけたが、結果を変えることはできない。見るからに少女の表情は陰り、千寿郎はあとに続く言葉が出なかった。

……存じ上げなかったとはいえ、急に押しかけてしまいすみません。不躾なことばかり、申し訳有りません」
「いえ、お気になさらずに。こうしてお越しくださるだけでも兄は喜ぶと思います」
……そう言っていただけると、わたしもほっといたします」

 顔を上げたに、千寿郎は安堵する。ひどく取り乱すのではないかと心配していたのだ。

「では、その……鬼殺隊には、どのようにしたら入れるのでしょう?」

 千寿郎は一瞬耳を疑った。鬼殺隊。確かに彼女はそう言った。

「あ、……鬼殺隊は解散しました。六年前に」
「ろ、六年前?どうして?」

 千寿郎は嫌な予感がした。いや、まさか。まさか。何度も心の中で呟く。

「それは……もう、鬼は居ないと聞いております。鬼殺隊の方が滅ぼしました」
「鬼が、居ない……そうですか、それはよかったです。安泰です」

 よかったです、よかったです。と繰り返すの顔は困惑を通り越し、魂が抜かれたように呆けていた。次々と語られる真実に思考がついていけていないのは違いない。しかし、それだけではないと千寿郎は思う。彼女の小脇にある布にくるまれた物が何であるのか考える度にまた胃が痛むようだった。そのまま「さようなら、またどうぞ」と言えるはずもない。

「つかぬことをお尋ねしますが、その長ものは……
「はい、これはもう必要ないと思います。……あの、……長居してすみませんでした。お茶、とても美味しかったです。ごちそうさまです。わたくしはそろそろお暇させていただきます」

 は早口に告げると、さっと立ち上がる。

「遅くなってすみません。ご先祖様と杏寿郎様にご挨拶をしていきたいのですが、どちらにございますか?」
「ご案内いたします。少し離れた場所にありますので……
「ありがとうございます。……鬼が居ない、そうですか……
「だ、大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。わたしは健康には自信がありますので。むしろ、それしかないといいますか……

 足がしびれました、とはふらふらした足取りで仏間へ向かう。何度か千寿郎も声をかけるが彼女は「大丈夫です」と言ってそれ以上のことを言わなかった。そして、古美術屋を教えてくれというもので、千寿郎は地図を書いて渡した。
 彼女が屋敷を出て一時間も経っただろうか。

「御免下さい、煉獄様いらっしゃいますか?!煉獄様!」

 ひどく焦った男の声色に、千寿郎は早足で向かう。古美術屋の店主だ。

「こんにちは、どうなさったんですか?」
「ああ、よかった!紹介くださったお嬢さんが店で卒倒なさって」
「えっ?!」

 そうなってしまうのも無理もない。身銭を切って購入した刀が無用の長物ちょうぶつとなり、それならばと訪れた古美術屋で二束三文にもならないと言われたら熱を出すのも致し方ない。その上頼りの者は他界し、目指した剣士も無になった。ものの数分で理解しようとするのがおかしなことだ。知らされた事実を一度に引き受けるには十七の少女には無理があった。卒倒し、なかなか熱の引かない客を帰宅した槇寿郎はひどく心配した。「大病かもしれない」そう言って、ついには医者を呼ぶことになった。

「どうですか?」
「そうですね。これはあれです」

 医者は眉間に皺を寄せ、小さく唸る。

「まさか、大病ですか……?」
「いやいや、アレです。何と言いましょうね、アレは」
「アレ?」
「ええと……あ、知恵熱です」
……そ、そうですか」


 後日、彼女に理由を聞いた千寿郎はひどく納得した。まさかこんなことになろうとは誰も思いもしていない。
 先のことなど、未来など誰にもわかりはしないのだ。