Episode9


 大人っていいな。そう思った子どもの頃が懐かしい。
 社会人になって3年目。最近、職場や学生時代の友達が相次いで結婚した。ユミちゃんから結婚のお知らせと招待状が届いたのもそんな頃だった。

 わたしはと言うと、圭介くんとはあれきりぷつんと糸が切れたように途絶えてしまった。もしかしたら、大人になるということは考えることでもあるのかもしれない。以前のわたしなら、すぐにメールを送ったり電話をしてアクションを起こしたかもしれないけれど、今は前進どころか後退を辿る一方で、足踏みしたまま音信不通を極めていた。いわば、結婚ラッシュの波に乗ったユミちゃんとは正反対。でも、ユミちゃんが好きな人と一緒になれたのは本当に嬉しかった。



 大安吉日。さすが林田組という言葉がぴったりな高級ホテルにて、ユミちゃんたちの結婚披露宴が行われた。そこでウェルカムドリンクを受け取りに来たわたしは、一歩も動けなくなっていた。というのも、いかにも大きな肩書を背負っていそうなダンディなおじ様たちの社交辞令に混ざり、時々ギョッとするような言葉が飛び交っている。その理由は察しがつくけれど、その面々がとにかく派手なのだ。わたしが勤めている会社では絶対に見かけないタイプばかりで圧倒されてしまう。きっとオロオロして見えたのだろう、
「君、パーの友達?」
「え、っと……今日はユミちゃんの友達として来てます」
「へー、そうなんだ。席はどこ?」
 と、さっそく知らない人たちに話しかけられている。林田くんの友達だからおそらく悪い人ではないと思うけど、真正面に立たれるのははっきり言って怖い。すっかり進路を塞がれてしまい、困り果てていた。意を決して声をかける寸前、
「お前らなにしてんの?」
「三ツ谷さん! チッス」
 髪色は違っていても、直ぐに記憶と重なった。昔、塾帰りにユミちゃんとクレープを食べていたときに居た男の子。三ツ谷くんはわたしの方を見るなり「あー」と、参列者専用の出入り口へ視線を向けた。
「その子に話かけるのやめといた方がいいと思うぜ」
 一瞬、きょとんとした彼らは先ほどとは打って変わって姿勢を正す。さっと波のように引いていく彼らに、不良の世界を垣間見た気がした。
「ありがとう、三ツ谷くん」
「ヤンチャが多くてびっくりだろ? さっきのは隊の奴らでさ、根は悪くねーから許してやって」
 ゴメンね、と三ツ谷くんは席の方へ戻っていく。それから同席の友達と親しそうに話していた。
 そしてテーブルへ戻ったわたしは緊張が緩むどころではなく、増すばかり。

「バジさん、ネクタイ曲がってますよ」
「マジ? 千冬ってカーチャンみたいだな」
「カーチャンって……せめて右腕って言ってくださいよ」

「そういや千冬はずっとそんなこと言ってたよな。で、バジ的にはどうなん?」
「は? 知らね。そんなの考えたこともねぇわ」

「ひでぇ、そういうとこだぜバジ。そんなだからずっと一人なんだよ」
「一虎だって大してかわんねーだろ」
「そんなことないけど」
「それならオレだって、……」
「オレだってかわいい動物がいるって?」
「ア゙?」

「動物の前にお前らのルームシェアのが問題だろ」
「それなー、ドラケンの言うとおりだわ」

 念の為、そっと席次表を眺めてはそっと閉じる。位置的わたしの真後ろ。いつ来たのかぜんぜん気がつかなかった。
 ワハハッと笑い声が重なる。その賑やかな声は暗くなっていく照明に合わせ、静かに止んだ。


 『それでは皆様、お待たせいたしました! 新郎新婦のご入場です!』
 本日の主役にスポットライトが当たり、ユミちゃんのウェディングドレスが煌めいた。みんなの温かい拍手で迎えられた二人はとても幸せそうで、わたしまで嬉しくなる。じっと見すぎてしまったのか、わたしに気づいたユミちゃんがにっこり笑ってくれた。祝辞、乾杯と順調に進み、女性陣は余興よりもユミちゃんのお色直しを楽しみにしていて、そのたびにカメラを構えて目を輝かせた。また、ひときわ会場が沸いたのは三ツ谷くんが作ったドレスだ。
『こちらの真紅のドレスは新郎のご友人、三ツ谷隆さんからのプレゼントです』
 スポットライトを浴びる三ツ谷くんは、お祝いの言葉を求められても全く緊張した素振りがない。紳士的なその姿は女性陣をとりこにした。そうして式は後半へと続き、ケーキカットへ入り、林田くんは大きな口で懸命にファーストバイトを受け取っていた。でもユミちゃんが強引に押し込むので苦戦していて、
「パーちん、もっとがんばって!」
「っ、モモモモッ!」
「パーちん、もう“もりユミ”じゃねーぞ!」
 ダミ声の男の子がヤジを飛ばし、皆が笑う。圭介くんもたぶん笑っていたんじゃないかと思う。あれだけ近くにいたのに互いに話しかけることもなく、披露宴はプログラム通りに終了したのだった。

 2次会は定番のビンゴゲーム、景品は定番のテーマパークのペアチケットや、牛丼セット1年分など変わり種もあった。中でも一等賞が珍しく、なんと家賃2年間無料。林田組の物件ならどの部屋でも良いという。こういう景品は友人で出し合うものだと思っていたけれど、林田夫婦はずいぶん太っ腹だ。
「もし都合がよければ、3次会も一緒にどうですか?」
 さっき場所も決まったみたい。と、話しかけてきたのは披露宴でブーケを受け取った女の子、橘さん。彼女は彼氏が心配で最後まで残ると言う。「タケミチくん、酔ったら大変だから」と。3次会はごく親しい人ばかりが集まるのはわかっているし、わたしには介抱しなきゃいけない人もいないけれど、
「行きます、わたしも」
 参加するつもりはなかったはずが、つい、そう答えてしまった。

 そうしてわたしはとてもディープな3次会へ足を運ぶことになったのだが、そこがまたすごい場所だったのだ。水族館のような壁側一面の大きなアクアリウム、天井から吊り下がるシャンデリアの輝きに本物を初めて知った。橘さんが言うにはかなり人気のお店らしい。
 その店の奥では永遠の宴のような賑わいが始まっており、ユミちゃんは全く臆することなく上手に林田くんをサポートしていた。「あっちに行ってみる? みんな優しいよ」と橘さんは言うけれど、さすがにその中へ混ざる勇気は無く、カウンター席に腰を下ろしてようやくほっとした。
「橘さんもあっちに行かなくて良かったの?」
「うん、ここで飲んでみたいなぁって思ってたから。だってほら、すごいよね!」
 カウンターの奥には初めて見る高級ワインとウイスキーが並び、なぜか大きなハブ酒まである。とぐろを巻いたハブがじっとこちらを見ているその前で「おいしいっ」と笑顔でレインボーカクテルを飲んでいる橘さんはとてもパワフルな人だ。
さんは何飲んでるの?」
「プレ、……プレリュー」
 手元のおしゃれなお品書きを追っていると、

「プレリュードフィズ」

 黒髪の男性が隣に座っていた。わたしたちよりも年上で、柔らかい笑顔はなんとなく誰かに似ていたけれど、わたしはこの人を知らない。2次会には居なかったので、雰囲気から考えると、たぶん林田くんの知り合いだろう。
「単刀直入にいうけど、オレと付き合わない?」
「い、いきなりそういうのは、ちょっと……」
「ふーん、いきなりじゃなければいいの?」
 思ったより押しが強い人で、わたしはさっきより声を強めた。
「いえ、そういうのは……ごめんなさい」
「うん。じゃあ、まだケースケのこと好き?」
「なっ、わっ」
 びっくりした拍子に倒れそうになったグラスを橘さんがとっさに掴んだ。「お、ファインプレー」とその人は笑う。橘さんにお礼を言い、それとなく圭介くんの方を見る。ショットで飲み合いをしているらしく、テーブルの上には小さなグラスがたくさん並んでいた。圭介くんはあまり飲んでいないように見えて、相手の人はちょっと大変そうだった。更に奥の席ではトランプゲームが開催されており「ヒナぁ〜、どこぉ?!」と弱々しい声が聞こえてくる。「はーい!」と駆けていく後ろ姿はかわいい彼女。直後、誰かが声を荒らげた。「あ! タケミっちずりぃ!」

 すき、きらい。まだ、好き。

 好きかきらいかと問われるならもちろん、
「好き、です。……でも」
 自分でもさすがに未練がましく感じて、恥ずかしくて、ユミちゃんにも相談できなくなってしまった。だからといって、初対面の人にこんな話をするのもどうかと思う。それでも誰にも言えないことを言ってしまいたくなった。圭介くんはわたしに合わせてくれていただけなんじゃないか、と。なんとなく付き合う人はこの世に当たり前にいるわけで。そう考えればすべてがすんなり収まる気がした。
「わたしの好きは、ただの執着だと思います」
 すると、その人はククッと隠れるように笑った。
「それってさ、一途なだけだろ? 誰も迷惑してないじゃん。オレから言わせてもらうとケースケの方がよぽっど、」
 そこへ渋い声が割って入った。
「おい、シン! 若い子口説く暇あったらこっち来い、万次郎がポーカー代われってさ」
 どうせ振られたんだろ、と、おまけ付きで。
 そろりと現れたその人はやれやれと席を立ち、思い切り伸びをした。
「はぁー、世話ばっか焼いてっから彼女できねぇのかもなぁ〜」
 それからこっそりわたしに耳打ちし、行ってしまった。
 “じゃあ、あの水槽の前に座ってて”
 水槽、と言われても……。大きくて、広くて、どこに座るか迷ってしまう。なんとなく端の席へ向かい、ぼんやりそれを眺めた。
 それから少しして、ゴトッとグラスの底がテーブルへ着いた。


「オレ、魚は詳しくないんだけど」

 久しぶり、と椅子に腰掛けた圭介くんはテーブルに視線を落とす。
 幸い、わたしと圭介くんを気に留めている人はおらず、奥のテーブル席は先ほどと変わらず楽しそうにしている。“シン”と呼ばれたあの人は席に座ってカードを持ち、悩ましげに頭を抱えていた。
「真一郎君、負けてるな」
 それで腑に落ちた。誰かに似ていると思ったのは写真のマイキーくんで、真一郎さんはお兄さん。
「そういや、真一郎君に何か言われてなかった?」
「何飲んでるのって、訊かれた」
「ふぅん……」
「圭介くんこそ?」
「オレは魚の名前教えてやれって真一郎君に、っていうより……」
 圭介くんは逡巡して言った。

「オレがと話したかったから」

 わたしも、――
 もちろん緊張しているのもある。だけど、今は昔のようなピンクのスパンコールのようなキラキラしたそれとは違う。一つ切れてもまた繋げればいい、そんな風に簡単に思えなくなってしまった。一つも間違えてはいけない難問のように、慎重に言葉を選んでしまう。
 わたしも話したかった。
 それだけのことが、喉の奥で詰まってしまう。
 今日はオシャレをしていてどこも恥ずかしくないはずなのに、今までで一番自信がない。

「なあ、アレ何だと思う?」
 圭介くんはふわふわ揺れている水草を指さした。
 何かが素早く動いている。珊瑚礁の下へ潜っては、シュッと動いて止まる。それをずっと繰り返して、なかなか追えない。突然、1匹の赤い目をした青色の熱帯魚が砂岩から飛び出た。
「もしかして、さっきの青い子?」
 振り向くと圭介くんは小さく息を漏らし笑った。あ、と思ったときには遅い。
「変わんねぇな」
 きっと、圭介くんはしつこいのは嫌いかもしれない。
「変わらないって……たとえば?」
 なのにこんなことを言うのは、圭介くんがほっとしているように見えたのと、もう一生聞けないんじゃないか、そんな想いがあったから。
「そうだな、少し抜けてるとことか」
 披露宴で話しかけられたのを三ツ谷くんが話したらしく、ああいうのは無視しろと言った。
「それから、知らないことにスゲー目を輝かせる。でもそれも楽しくて、時々心配になる。あと、オレみたいなバカに付き合ってくれるくらい優しい。そんで優しすぎて……オレはあのままでいたら、ずっとオマエに甘えるから」

 完全に連絡を絶たなきゃずるずる続くのはわかってたし。メールくらいって思うだろうけど、でもオレはそれじゃ駄目だから。あと、が頑張ってきたことが無駄になるようなことはしたくなかったのもある。何でも上手くできるほどオレは器用じゃねぇ。だから、……あのときは離れようと思ったんだ。――
 大学生の時の再会は、わたしの想像よりも何倍も圭介くんを悩ませてしまっていたらしい。わたしがマンションの自宅へ帰った後、まさか圭介くんがしばらく道路でしゃがみこんでいたなんて思わなかった。悩みに悩んで真一郎さんに相談していたことも。



 圭介くんは相変わらず賑やかな奥のテーブル席へ視線を向けた。
「すぐ戻るから。あ、間違ってもあっちに行くなよ」
 カウンターのほうへ向かったように見えたけれど、追えなかった。諦めてさっきの青い熱帯魚を探していると圭介くんが戻ってきた。お待たせ、と1杯のフロートグラスを持って。
 メロンクリームソーダ。
 抜けていく炭酸に混ざり、爽やかなグリーン色のそれはほんのり甘い香りがする。酒だけど、と圭介くんはそれをこちらに差し出した。
「圭介くんはいいの?」
「いい。これあるし」
 それから圭介くんは自分のグラスに残ったお酒を飲み干した。さっそく一口飲んでみると味はメロンソーダそのもので、あとからほんのりリキュールの味がついてきた。
「圭介くんも飲んでみる?」
 いや、と迷っていた圭介くんは遠慮気味にそれを手に取る。
「あまっ」
「だよね」
 ありがとうとすぐに突き出されたグラスに手をかけると、圭介くんはわたしを見据えた。

「あのさ……今さら何言ってんだって思うだろうけど、」

 この一拍にどれだけの想いがあったのだろう。
 お酒のせい、それとも。
 ほんのり耳が赤く染まっている。

が好きだった、ガキの頃からずっと」

 唯一の目撃者が、わたしたちの隣を物見遊山のごとく横切っていく。まるで珊瑚礁に隠れてこちらを盗み見ているようだった。そんな彼らに圭介くんはこれは秘密だと言い聞かせる。それを見ていると圭介くんだって、あの頃からちっとも変っていないと思う。
 アイスが乗った特別なメロンソーダは懐かしくて、ほんのり大人の味がした。

もう一度